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写真好きな祖父と父のもとに育ち、
幼少よりカメラと写真に囲まれていました。
色々な方にお世話になり、今がございます。
御恩を写真で返していきたい、 知っている事を残したい、
モノクロフィルムのアナログの素晴らしさ、
デジタル一眼レフの楽しみ方、
写真とカメラの素晴らしさをお伝えしていきたいです。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 川端 祐子 ・ ・

 

 

名前:川端祐子(かわばたゆうこ)

1972年1月17日生まれ・やぎ座・O型・RH+
性別:女
写真歴:ながいこと
得意な撮影ジャンル:人物全般、ポートレート撮影、スポーツ、特にキッズスポーツが大好きです。
可能な撮影ジャンル:すべて(商品撮影、お花、刺繍作品、粘土作品、お料理、スイーツ、お洋服、などなど)

得意な写真教室:
おそらくすべて(夜、桜、お花屋さん、撮り合いっこ等、撮影会各種・一眼レフの基礎・マクロレンズdeタマツユ・モノクロ写真・オーロラほか、ご要望があれば何でも対応するため、多岐にわたります。)

写真教室の定義:
楽しくて世界一分かりやすいをモットーに必ず為になる内容を盛り込んでおります。撮るのがさらに楽しくなり、写真仲間との交流により意識が勝手に高まる環境をご提供したく存じます。

↓わたしなんですけど、若く見えるよう仕上げてございます(//▽//)アラフィフ




■マタニティフォト、■お誕生のニューボーンフォト、■ハーフバースデー、■七五三、■ご入園・ご入学、■二分の一成人式、 ■ご卒業、■成人式(前撮り)、■ご結納、■ご結婚、などなど、写真を撮るイベントが以前に増して高まってきていますね。
写真で残すことの大切さ、写真を見るたびにこみ上げる愛おしさが浸透しているのは本当に喜ばしい事です
最近では近況報告的な要素のある、SNSやパンフレット等に掲載するためのポートレート撮影のご依頼も増えてまいりました。
人をお撮りするときは、まずその方のもっとも素敵な表情を引き出す事がいちばんと考えておりますので、 撮影をしながら話をたくさんいたしますが、ご了承くださいませ。


撮影する方に笑ってほしいと思う時は、私がまず笑っていなくては、なのです。撮影される立場になってみたら、どんなカメラマンならいいだろう、と考えて、 カメラマンぽさを出さず、お友だちと雑談を楽しんでいる感覚で撮影するように心がけております。
また、お子さまをお撮りするときは、お父さま・お母さまとお話をして仲よく接していただくと、 お子さまが安心されて緊張せずとても無邪気な表情のショットを捉える事ができます。
日時と場所と撮影内容をお伝えいただければ、できる限りご希望に沿った素敵なお写真を残すお手伝いをいたします。

↑高校野球はこんな感じでお撮りしております。

上記の動画が表示されない場合は↓こちら。
https://youtu.be/tpD1FFvf-ss


『動きの速いものほど止まって写すと躍動感が出る』という写真のセオリーがあります。 動画では気付かない一瞬のヒトコマの、強さや美しさを感じていただけるお写真を心がけております。

野球スポーツ撮影では大人のスポーツもさることながら、小学生から高校生の野球、サッカー、 バスケットボール等にいつも感動をいただいております。
また、保護者の方々にはいつも大変感謝していただくので、より一層チカラの入る撮影をいたしております。
ビデオ撮影では得られないクリアな画像でのスライドショー動画は、お子様スポーツでは大変人気の高い商品となっております。
実は私も自分で作っておきながら、何度も見てしまうんですよね(//▽//)


ここからは自己紹介といいますか、私とカメラと写真にまつわるお話です。

中学一年生、13際の誕生日に、 「そろそろいるやろ」と父から誕生日プレゼントではじめてのマイカメラ。フィルムのばかちょんというやつでした。
ちなみにこのころ、カメラに興味なんてありませんでしたが、カメラのお手入れをする父の休日や、アルバムに写真がたくさんあったりするのが普通でした。
祖父は、私の中でカメラに関しての記憶はないのですが、若い時に押入れで暗室作業をしておったそうで、いま私の手元にある1938年生ツァイス社製645じゃばらカメラのオーナーでございました。

ちょこちょこ登場させている この↑かわいいカメラです。

バブル景気の高校時代、ひょんなことから写真部に入り、世界初オートフォーカス一眼レフであるミノルタα7000 (入部を喜んで父が貸してくれた)で撮影とモノクロフィルム現像と暗室作業を習得しました。

↓こちらが高校生の時の作品です.


(ミノルタα7000・富士ネオパンプレスト400・富士スパープロドール・富士コレクトール)

それから月日は過ぎ、社会人になり、ポラロイドカメラやら組み立て暗室やらフィルム現像グッズやらをちょこちょこ揃えはじめまして、細く長くカメラに親しんでまりました。
子育て期間中に娘たちを撮って美術展に出品し、入選入賞をちょうだいし、しばしクセになりました。
出張撮影でポートレートを撮るときなどは、「笑って―、かわいいー、すごくいいよー」と言いながら撮りまくった時期が生きてる気がします。


ここだけのナイショのお話。

上の写真はわが娘の小さい頃ですが、実は娘たちの間に男の子がおりました。
生後6か月という短い生涯を終えた長男です。
当時の男の子は、それはそれはお手柄風に言うていただき、方々へお披露目に出かけたものでした。
けれども緊急入院して3日後にNICUで息をひきとりました。
いろいろ憶測はございますが、脳症による多臓器不全、突然死。

皮肉にも数多のお披露目がたくさんの写真を残しました。
はじめは見るのが辛かったですが、日が経つにつれて何て幸せなことなんだろうと思いました。
私のほぼすべての生活を占めていた愛のかたまりが目の前からいなくなる絶望感はもちろんですが、保険証からも戸籍からもいなくなるのは寂しさというより怖さでした。
後悔ばかりが頭を支配してた頃、長男の写真をふと見ると笑ってたんですね。
あの子は短い命だったけれども、ちゃんと幸せだったんじゃないかなと思えたんですね。

長男の遺影はカラーネガから作ったモノクロ写真です。
それを見たときに『ああ昔、暗室で焼いてたな』と思ったんです。
実はそこから写真が再燃、現在に至ります。

上の写真にもあるとおり、撮影者なら写真を見ればそのときの気持ちがよみがえってきます。


 『写真があってよかった。』

 一人でも多くの方にそう思ってほしい、私はそれで救われたから。


 『写真が趣味でよかった。』

 一人でも多くの方にそう思ってほしい、私はそれで救われたから。


カメラマンだけでなく、写真教室をしているのは、そういう理由です。

一家にひとり、一族にひとり、写真係がいると残る写真の数は格段に違いますよ。
写真はそのときだけでなく、10年後20年後に何百倍にもなってその威力を発揮します。
それは写っている人でなく、
大切な誰かを、将来励ましたり、癒したりすることでしょう。
私の写真なんていらないわ、なんておっしゃらずに、
撮られることももっと楽しんでいただきたいと思います。笑わせますので^-^v

とにもかくにも写真には、さまざまな御恩がありますので、
私の写真でどなたかに喜んでいただけること、写真のすごさを知っていただくことが
ご恩返しになると思い、丁寧にお写真をご提供しつづけていたいと願っております。

 


セルフポートレート / 左:46歳(2018年) 右:たぶん36歳(たぶん2008年) ※いずれも加工有